【日本の英雄】日本人の呼び名を”ジャップ”から”ジャパニーズ”に変えた男【橋爪四郎】

世界に羽ばたいたフジヤマのトビウオ。初の海外遠征。アメリカ前衛選手権への参加。戦後間もないアメリカは日本人を「ジャップ」とけなし、日本の記録をまったく信じていなかった・・・ 最終更新日:2014年03月04日

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向かって左が橋爪選手

そのころ第二次世界大戦に敗れたばかりだった日本が世界に勝てるものは水泳だけでした。
ですから当時の水泳人気はたいしたものでした。
今では誰も信じられないかもしれませんが、プロ野球(まだ1リーグ制)事務局が
試合日程を組むのに水連に水泳の予定を調べに来たりしたんです。


そんな折の1949(昭和24)年6月15日をもって(財)日本水泳連盟は国際水泳連盟(FINA)に復帰を果たしました。しかし国際復帰はしたものの、アメリカの対日感情はまだ悪いと聞き、新調のブレザーの胸には日の丸はやめ、日本水連のマークをつけました。しかしそれでも現地の空気は悪く、地元紙は「日本の時計は周りが遅い」「プールが短い」など、日本の記録にもケチをつけ、日本選手を蔑称の「ジャップ」で呼びました。

しかし、四日間にわたる大会の初日の予選から新記録を連発すると、たちまちにそれまでの非礼をわび、
日本選手を「ジャパニーズ」と呼びなおし、橋爪選手には"フジヤマのトビウオ"の愛称をつけたのでした。

結局、日本は出場した自由形(リレー含む)6種目中5種目を制し、
延べ9つの世界新で水泳王国アメリカが腰を抜かす大活躍!橋爪自身は400m4分33秒3、800m9分35秒5、1,500m18分19秒0で、全て世界新。800mリレーでも世界新のアンカーを務めたのでした。


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