行ってよかったと思う日本のお城ランキング 年代かかわらず歴史が楽しめる!

日本のお城観光ランキングです。順番に紹介していきます 最終更新日:2015年06月08日

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日本のお城ってきれいですね。特に最近お化粧直しした姫路城(別名白鷺城)は真っ白で驚きました。その他日本のお城って西洋様式とは全く違った独特のものがあります。歴史好きにははまる存在であることは間違いないと思います。
さてここで日本のお城のランキングですがクチコミサイトを引用させていただきます。
世界最大の旅行口コミサイト「TripAdvisor」の日本法人であるトリップアドバイザー株式会社は、トリップアドバイザー上に投稿された過去1年間の口コミ評価を基に「行ってよかった!日本の城ランキング2014」が発表されましたので、そのランキングを引用させていただきます。ランキングの結果は下記です。
【行ってよかった!日本の城ランキング 2014 トップ20】

 順位(昨年度順位) 城名/所在地

 1位 (1) 熊本城 /熊本県熊本市

 2位 (6) 松山城 /愛媛県松山市

 3位 (11) 姫路城 /兵庫県姫路市

 4位 (10) 弘前城 /青森県弘前市

 5位 (4) 松本城 /長野県松本市

 6位 (2) 犬山城 /愛知県犬山市

 7位 (-) 備中松山城 /岡山県高梁市

 8位 (5) 竹田城(竹田城跡)/兵庫県朝来市

 9位 (8) 高遠城址公園 /長野県伊那市

 10位 (7) 二条城 /京都府京都市

 11位 (-) 宇和島城 /愛媛県宇和島市

 12位 (13) 中城城跡 /沖縄県北中城村

 13位 (-) 丸亀城 /香川県丸亀市

 14位 (15) 高知城 /高知県高知市

 15位 (-) 首里城 /沖縄県那覇市

 16位 (17) 皇居東御苑(旧江戸城本丸跡)/東京都千代田区

 17位 (9) 勝連城跡 /沖縄県うるま市

 18位 (19) 会津若松城(鶴ヶ城)/福島県会津若松市

 19位 (3) 松江城 /島根県松江市

 20位 (-) 今治城 /愛媛県今治市

ではこのランキングの順番でお城の画像を紹介していきます。

ランキング1位 熊本城

熊本 城 天守 写真 熊本 城

出典:menamomi.net
熊本 城 天守 写真 熊本 城

熊本城(くまもとじょう)は、現在の熊本県熊本市中央区にあった日本の城である。別名、銀杏城(ぎんなんじょう)といわれています。

熊本 城

熊本市北区植木町の中心から南に伸びる舌状台地(京町台地)の尖端、茶臼山丘陵一帯に築かれた平山城。現在の地名では中央区の本丸、二の丸、宮内、古城、古京町、千葉城町に当たる。

中世に千葉城、隈本城が築かれ、安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて加藤清正がこれを取り込み、現在のような姿の熊本城を築いた。日本三名城の一つとされ、「清正流(せいしょうりゅう)」と呼ばれる石垣の上に御殿、大小天守、五階櫓などが詰め込んだように建てられ、一大名の城としては「日本一」であるとの評価がある[1]。

こちらは、熊本城、堂々たる ...

細川氏の居城となった後も盛んに改築が行われ、明治時代の初めまでは大半の建物が撤去されずに現存していたが、熊本鎮台が置かれた後に建物や石垣、曲輪の撤去や改変が行われ、西南戦争で一部の建物を残して天守を含む御殿や櫓など主要な建物を焼失!

熊本城

現在は、宇土櫓や東竹之丸の櫓群が残る(建物が失われる経緯は、同項の歴史(明治時代以降)を参照のこと。)。石垣普請の名手とされる清正が築いた石垣は、1889年(明治22年)の熊本地震で石垣の一部が崩落し、改修された部分があるものの、ほぼ江戸期の改築による変遷の痕跡をとどめ、城跡は特別史跡に指定されている。昭和時代中期には大小天守と一部の櫓が外観復元され、近年では、櫓や御殿などの主要な建物を木構造で復元する事業が行われている。

サクラの名所としても知られており、日本さくら名所100選に選定されている。

は happy です o いよいよ 熊本 ...

ほぼ江戸期の改築による変遷の痕跡をとどめ、城跡は特別史跡に指定されている。昭和時代中期には大小天守と一部の櫓が外観復元され、近年では、櫓や御殿などの主要な建物を木構造で復元する事業が行われている。
さらに・・・
サクラの名所としても知られており、日本さくら名所100選に選定されている。

熊本城

熊本城の管理者[編集]
熊本城が所在する熊本城公園の敷地は国の土地であり、財務省九州財務局の管轄下にある。敷地は熊本市に無償貸与され、熊本市が管理及び整備を担っている。園内に所在する文化財のうち特別史跡熊本城跡、重要文化財熊本城諸櫓及び近く指定を予定されている公有の地域については、文化財保護法に基づき熊本市が管理団体に指定されている。

熊本城 天守閣

加藤清正は、1591年(天正19年)から千葉城・隈本城のあった茶臼山丘陵一帯に城郭を築きはじめる。1600年(慶長5年)頃には天守が完成、関ヶ原の戦いの行賞で清正は肥後一国52万石の領主となる。1606年(慶長11年)には城の完成を祝い、翌年「隈本」を「熊本」と改めた。これが現在の熊本城である。1610年(慶長15年)から、通路によって南北に分断されていた本丸に通路をまたぐ形で本丸御殿の建築が行われた。これにより天守に上がるには、本丸御殿下の地下通路を通らなければならないようになった

熊本城

1632年(寛永9年)、清正の子・加藤忠広の改易により豊前小倉城主だった細川忠利が肥後54万石の領主となり熊本城に入った。このとき忠利は天守に上り清正を祀る廟所がある本妙寺の方角に向かって遙拝したと伝えられる。忠利は城の長塀の南、坪井川を渡った所に花畑屋敷を造営し、以後歴代藩主はここを日常の居所とした。

熊本城遠景

加藤家の治世末期には、藩財政の疲弊やお家騒動により、城の修理もままならない状況であった。細川家が肥後入部時には、熊本城は現在の本丸周辺のみ整備されていて二の丸の一部と三の丸の大半は未開発であった。 このため細川忠利は入部後、直ちに熊本城の修繕を幕府に申し出ている。


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